小雪のハンガリー音楽留学レポート【第1回】 自己紹介・留学経緯

2024年4月6日

第1回 自己紹介・留学経緯


皆さま、初めまして。この度、M’ Navi Station 音楽畑の「ハンガリー音楽留学レポート」を担当する事となりました小雪です。現在ハンガリーのリスト音楽院に在籍してピアノを学んでいます。よろしくお願いいたします。このレポートでは、私ひとりの主観を軸に、留学過程において経験した様々な国の文化や習慣の違いや、ヨーロッパ圏内のひと国であるハンガリーにおけるクラシック音楽の需要についてなどを、書き綴っていこうと考えてます。初回は自己紹介と題し、留学とレポートを担当するに至った経緯について綴っていきます。

―自己紹介


・留学経緯

私が留学に憧れを持ち、願望を抱き始めたのは16、17歳の頃でした。主なきっかけは、高校時代に同級生達が大学進学をヨーロッパへと決めた事を知った時でした。私自身にとって、海外へ踏み出し勉強の軸をそこへ置くことは大きな存在であり、一方、現実化していない漠然としたものでした。 彼らがどれだけの労力を持って準備をし現地受験に至ったかは、後に自分自身で身をもって経験するまで、全く理解に及びませんでした。当時、高校最後の学年ということもあり、友人と二人で約2週間の夏期セミナー受講を決意しました。行き先は音楽の都と博している、オーストリアのザルツブルクでした。

オーストリア ウイーン市内の風景①

オーストリア ウイーン市内の風景②

 多くのセミナーでは受講手続きを終え、各々希望する教授のレッスンを受けられるものや、選抜オーディションを通りレッスン許可を得た後、教授レッスンを受けられるものの二つのパターンが存在しており、初めての音楽短期留学で私が直面したのは何と後者でした。このセミナー手続きに当たり、音楽留学アドバイザーを介し受講した後に、きちんと自身で内容詳細を確認せずに現地へ向かった為、選抜オーディションという制裁が降りかかりました。多くの受講生を背に、先生から適当に当てられた2曲を披露し、当時技術が不十分であった私は選抜に落ち、他の先生の元へ駆け込み何とかレッスンの手配が出来ました。

オーストリア ウイーン郊外、セミナーの外部演奏会に出演した際の会場

その周囲の風景

ここでの教訓として、ヨーロッパでは 最低でも5〜10曲、それ以上の曲数を常に用意し、いつ何時でも披露出来るよう、日々のレッスン体制によって築かれている習慣を意識しておくことを学びました。これは、後にハンガリーにてリスト音楽院の現地受験をした際も、全く同じ経験をしました。この初めてのセミナー受講以降、翌年も友人と共にオーストリアのウィーンへ行き、両年とも短期間ではありましたが、ヨーロッパの過ごしやすい気候に恵まれ、建物から漂う歴史の違いに触れながら、大変に良い経験を得られました。この経験から、より明確に留学に対する願望を抱き、前向きな姿勢になった一方、どこの音楽院を希望し、どの先生に師事をしたいのかという、最大で重要な関門が立ちはだかりました。私が個人的に考えるに留学するには、特にクラシック音楽の世界では大きな流れがあります。まず師事を希望する先生を決め、次に自身で直にコンタクトを取り、そして門下への入門の許可を得る、この大まかに3つのステップを踏んだ者が、留学を決定出来るというものです。そもそも私には、大学で師事していた先生を通じたコネクションが無かった為、大学外で師事していた先生を通してようやく道が開けてきたのは、短期留学から4年後の事でした。なぜこれ程までに時間を要したのかというと、それは技術が全く及んでいなかったからでした。この事に自身で気付くには、大学卒業まで残り1年半と差し迫った時期に、師事する先生を変更し、新たな観点で多方面から様々な音楽解釈を教えて下さる先生のレッスン過程に慣れてからでした。実際この間にも、あの頃に抱いていた留学願望は年々薄れていき、次第に留学に対し疑問さえも抱き始めていました。しかし、人生一度切りであればこそ、最後にチャンスがあるのではないかと、外部の先生に相談したところ、当時先生が留学時に師事していた教授に話をつけてもらい、現地受験をする以前に一度ハンガリーへ赴き、レッスンを受ける事になったのは、大学院に在籍中の事です。

私にとって人生で初めての経験である、一人で海外へと向かい、異国の地で得た情報を元に行動するのは、想像以上に大変で大きな出来事でした。この渡航は多くの方々から協力を得て、実現したものでした。リスト音楽院に留学され、現地に住われている方、又日本へ帰国されている方、勿論師事している先生、彼らの協力により現地でのピアノ練習場所を確保し、又教授のご自宅までの道のりを知る事が出来ました。

ハンガリー ブタペストのドナウ川の風景

ヨーロッパ圏内のひと国であるハンガリーのブダペストは、アジアにもルーツがある東洋と西洋の歴史が混在した東欧国です。それ故、言語構成はどこか日本語と似ている部分があり、建物からはオーストリア=ハンガリー二重帝国時代の様式が感じられます。(この事については、後々詳しく書き綴っていきたいと思っています。) 当時、ブダペストの教授のご自宅へ伺った際は、8月上旬ながら比較的暑さに耐えられる気候でした。その際に行われたレッスンでは、良く適した奏法や表現を事細かに教えて頂き、この経験がより一層邁進していこうと決心した出来事でした。こうして、翌年に晴れて現地受験が実現に至りました。

・レポートを担当するに至った経緯

この記事の掲載元であるM’ Navi Station 音楽畑に所属し、はや数年が経ち留学をスタートさせた時期に、幸いにもレポートを担当しないかとお話を頂きました。良いお話を受けた一方で、私は右手を故障し、集中治療を行う為に日本に一時帰国を余儀なくされていました。診断名は「橈骨神経麻痺」といい、一般的には完治に2、3ヶ月、又はそれ以上を要する非常に厄介なものでした。主な原因は、右手を下に身体の体重を長時間かけたことで、神経に圧迫がかかり、大きな麻痺を引き起こすものですが、私の場合、数ヶ月に渡り蓄積された身体全体の疲労により、可動域が狭くなった筋肉を無理やり動かそうと、負担の大きい力で補った為に、すでに最悪な身体のコンディションが出来上がっていたところへ、神経圧迫が重なり引き起こった次第です。結果、約9割の復活までに4ヶ月を要しました。この経験は良くも悪くも大きな糧になりました。現在は無事留学に復帰し、来年の受験に向けて再起奮闘している状況にあります。当時、せっかく日本に滞在しているならばと近況報告を伝えに、音楽畑の代表である廣澤様とお会いした際、このレポートの詳細内容を伺ったという経緯になります。実際に前任の方のレポートを通じ、多くの方々が異国の様子を身近に感じ捉えられ、まるで擬似体験をしているような感覚を持った読者がいることを知りました。加えて、音楽留学を検討している方々の一つの道筋にもなっていることも伺いました。ならば、私ひとりの主観を通してではありますが、何か留学の記録を形に出来ないかと思い、この度執筆を決意した次第です。

大変に長くなりましたが、多くの情報を元に色々な事柄をお伝えして行ければと思っていますので、改めましてよろしくお願いいたします。

小雪