小雪のハンガリー音楽留学レポート【第9回】

小雪のハンガリー音楽留学レポート【第9回】

第9回 民族と言語②

 今回は、前回に引き続き、ハンガリーの民族と言語に関する内容になります。当時のヨーロッパの各時代で勢力拡大をしていた、大モンゴル国やオスマン帝国による度重なる侵攻による激動の時代を経た先のマジャール人の歴史について、17世紀から20世紀の歴史にフォーカスし、レポートにしていこうと思います。

—民族の遍歴②

 17世紀に入り、ハンガリー王国が三分化され各地域を支配していたオスマン帝国が、ハプスブルク帝国へ侵入し統治しようと、再び1683年に勢力拡大に乗り出してきました。しかし、ハプスブルク帝国と同様にキリスト教を信仰している国々からの援護によって助けられ、この危機から脱出しました。これは、16世紀初頭の1526年にもあった侵攻の一連だったことから、ハプスブルク家は策略を立てこれを反撃の機会と見立て、その後1686年から97年にかけてオスマン軍に大勝利を挙げ、99年のカルロヴィッツ条約にてハンガリー支配権を得ました。このことで、ハプスブルク家によるハンガリー王国全域の支配が本格化されることになりました。

当時のハンガリー王国にとっては、どのように支配権が変わろうが国民にとっては不満の種でしかなかったに違いないでしょう。その影響から19世紀に入り民族独立運動が勃発しましたが、1848年のハンガリー革命での独立宣言も虚しく弾圧に終わり、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が誕生しました。

形式上は国家として認められ独自の議会も設置されたものの、国王はハプスブルク家のオーストリア皇帝が君臨している事実により、その後も独立への士気は募っていったようです。革命が失敗に終わった後の、オーストリアの属領として本格的な統治が始まってから、公用語はドイツ語になり、さらにマジャール民族としての自由が奪われていきました。この独立運動は毎年3月15日に革命記念日として、ハンガリーの祝日となり大切に伝承されています。広場では集会が開かれ、国民同士で士気を高め合い、街中に公共交通機関にもハンガリー国旗が掲げられ、中には国旗バッジを身につける人もいます。こういった様子は、今もなお歴史的背景の理解が国民に浸透していることが感じられらます。

—現代の様子

 私も実際にこの間、ハンガリー国立美術館とブダペスト国立西洋美術館へ行ってきました。あれだけの、膨大な美術品と骨董品が保管されている空間に圧倒され、ハンガリーが誇る価値を目の当たりにしました。

【ブダペスト国立西洋美術館の建物の写真と、展示内容の一部。地下には、ハンガリーがエジプト王国の当時の領域となっていたことにより沢山の歴史的遺産が発掘されたそう。一階や二階には絵画などが数多く展示。】

説明によれば、ほとんどの作品は現代に入り、資産家が収集したコレクションだそうです。展示室は時代の流れに沿っていて、各時代の王族や貴族の暮らし、また、時代を追うごとに一般市民の暮らしぶりも描かれた作品が増え、ここからも階級格差の変化を知れ、色々な角度から、観る人々を魅了させるものとなっていました。

何よりも痛感したのは、やはり、ハンガリーとしての一国家の歴史が不安定な事です。多くの作品を通して歴史を感じ考えられる一方で、世界情勢の変動の影響として、政治介入や国境変化があり、そうした背景が人々の心情の不安定さとして現れ、例えば、絵画のテイストの純粋な美しさが失われ、当時の流行を持ってして芸術と呼ぶ風習が根づいたり、また、その時代には価値ある物とされた建造物が無視され、各国の武器と破壊の戦争に入り浸った世界へと転換したりと、次第に作品の尊さが重圧に変わっていきました。

展示の最上階にあった写真のコーナーには、20世紀以降の戦中と戦後のさまざまな様子が収められていて、自国の地位が脅されている恐怖が、時々撮られた人々の表情から混沌として感じました。ハンガリーがどう歴史を歩んできたのかについて、それらの歴史的事実を通して、これでもかと象徴する展示説明が至るところで見られました。

だからこそ、多くの価値ある作品ほとんど全てに撮影許可がおりていて、一人でも多くの人に、ハンガリーはこんな国だと知って広めてもらおうという必死さが伝わってきました。観光名所の行く先々で多くの観光客や地元の人を見かけた時に、異様な空気感を感じました。それは、展示内容の時代が現代へと近づけば近くほど、作品を見る目が感銘から共感へと変わっていたようでした。

まず持って、展示の説明や細かなディテールに興味を示していたのは、明らかに大体14,15世紀から19世紀のものでした。なんて素晴らしい作品で良い保存状態なんだ、美しいなと、ため息とともに声を漏らす人までいました。

一方で上記に挙げた、20世紀以降の様子が撮られた写真コーナーでは、ほとんどの人が写真そのものに見入り、展示説明の言葉からくる情景描写ではなく、なるべく肌身でより身近に感じようとしているようでした。ああ、こんなにも静けさが重く感じるのは、どこか親近感を覚えるような、そんな体験をしているのかなと思いました。こうした現代の人々の様子からも、国家の統治や国境の変動への恐怖は、今なお遺伝的に受け継がれているのかもしれません。

  さて次回は、最終の民族と言語の歴史的背景についてとなります。革命後のオーストリア=ハンガリー二重帝国の誕生が、より一層ハンガリーの国民の独立への意欲を掻き立てました。どのような更なる歴史が生まれたのか、完全な一国家として独立するまでを、次回のレポート内容とし、さらに紹介していければと思います。