第11回 災害と情勢
今回は、最近のハンガリー情勢についてレポートします。9月から10月にかけての1ヶ月の間で起きた出来事として、自然災害の影響が大きかったと思います。川の水量増水で道路や歩道が水没し、あと少しの距離まで水が来ていました。その他、各国で異常事態になっている不法移民へのハンガリー特有の対策についてや、それに関連する独立記念日についてもレポートにしていこうと思います。
—災害
ここ最近の1ヶ月弱の9月末から10月頭にかけて、ハンガリーは異様なまでの天候変化がありました。ついこの間までは、湿気が少ないけれど基本的にエアコンの無い生活で過ごしていたこともあり、とても蒸し暑く耐え難かったです。それが打って変わって劇的に寒くなり、10月頭で外気温は雨天下では8〜9℃です。でも日中晴れだと20℃まで上がる日もあり、とにかく寒暖差が大きいです。そうした天気の変化や温暖化も関係してか、ハンガリーを含めた多くのヨーロッパ各国で大雨が続きました。これも他の国と繋がっている地形なので、あちらの川が増水しつつある、こちらでも相当の雨量があるとなると、その結果起こるのが大規模な氾濫です。ハンガリーでは、観光に盛んな船上レストランや水上クルーズに面した道の全域が水没しました。
【ペスト側からのまだ水深が引き切っていないドナウ川の様子。この下に本来は道がある】
ドナウ川沿いのトラムやバスなど、あらゆる公共交通機関は運行中止し、付近の道にバリケードを設置する対策がされました。トラムに乗る度に注意喚起のアナウンスがされていたので、それだけ緊張が走っている事態なのかと思いきや、意外にも見物に行く人がいたらしく、そんな軽い気持ちで近づける神経を疑ってしまいます。私は水が捌けた後、川沿いのすぐ近くの道路まで実際に見に行きました。本当にあと数十センチ水深が上がっていたら、国会議事堂の広場も危うかったのが、目に見えて知ることが出来ました。
【前の写真と同じ位置からの様子。ここはすでに水が引いて道が見える状態。一時は全て水没していたそうです】
—移民対策
EU連合の移民を受け入れが始まったのは、1960年頃からだそうです。これは、当時のソ連や東欧諸国の民族間の紛争があちこちで起こり、その避難先として移動しやすく安全が保たれているヨーロッパ諸国へと、多くの移民が国境を超えてきたそうです。もちろん1990年代の活発化していた労働社会に応じて、多くの移民は雇用契約を結んでいたかもしれません。滞在許可申請にも役に立つ雇用関係は、彼らにとって生活の基盤も築けて、更に先進国の国民として受け入れられるこの状況は良かったに違いないでしょう。この時期はまだ問題として浮き彫りになるほどではなく、国民と移民のそれぞれの立場の秩序が保たれていました。
しかし、今では各国で色々なところで問題が深刻化しています。ごく普通に生活していれば何の問題も起きないのですが、魔がさして盗みに働く、さらには暴力を振って自分の地位に威厳をつけてみようとかそうした事件が起きやすくなったのは、移民受け入れがスムーズになってからで間違いなさそうです。私もここブダペストだけでなく、ポーランドやドイツでも色々な場面を見ました。いきなり人々に向かって罵声を浴びせたり、あえて大声を出してカッコいいだろと見せびらかしたり、人の身なりや雰囲気をジロジロ見極めていたり、挙げればきりがないほどたくさんあります。その延長線上にもあるのが、差別行為だと思います。私は一度も経験が無いですが、知り合いの日本人はアジア人差別を受けたそうです。イタリアでは日常的に犯罪があるので、比較的に初期犯罪とされるスリや売りつけには注意もしていませんでした。その行き着いた先が、そういう身なりを外国に来てもしているあなた自身にも不注意があると判断され、こちらがお咎めを受ける側になり、あまりに理不尽な状況になりました。そのためこれらの問題への対応として、さまざまな対策が図られるようになり、ハンガリーではEU連合からの指示に反し受け入れ拒否に伴う多額の罰金命令が出されたあと、受け入れ賛成派のブリュッセルへ片道バスを手配し、移民を送り返す対策を取りました。一方で、今まで受け入れに賛成していた北欧諸国では移民問題が手に負えず、何百ユーロを手配する条件で自国へ帰るよう促しています。これからさまざまな国で対策が発表され、行使されていくでしょう。
—祭日
ハンガリーの人たちにとって何としても欠かせないのが、独立記念日です。毎年、10月23日にかけての数日間で、さまざまな場所に、祝福とともに追悼の意も込めて国旗を飾ります。
【記念碑に多くの国旗やキャンドル、献花が供えられていた】
この日に私は日本人学生と一緒に、エルジェーベト展望台へと遠出をしました。ここは1910年からの長い歴史がある立派な建築で、頂上まで階段を上がるとハンガリーの全域がまた新たな視点で観察出来ます。
【展望台の頂上からの様子、山々からの眺めはまた一味違って良い】
目的地の展望台までの道中、かなりの距離がありますが、サイクリングロードやハイキングロード、公園やカフェなどの憩いの場も設けられていて、多くのハンガリー人で賑わっていました。徒歩では約35分、子供列車では約30分で行けます。
【山道を少し降ると、突如現れる子供列車の線路。車掌が全員子供で、切符の改札や販売もしていました】
都心から少し離れた場所での独立記念日の様子は、それぞれの家庭ごとに違うのも新たな発見でした。午後にブダペスト都内を回ってから戻ると、トラムの線路が封鎖され演説が各地で行われていました。幸いにも唯一地下鉄は動いているので移動手段は確保出来ますが、いきなりの様子には毎度驚かされます。
さて次回は、私のヨーロッパミニ旅行の様子をお伝えしようと思います。この夏にはポーランドのシュチェチンへ、秋にはドイツのシュトゥットガルトへ、それぞれセミナーとレッスンと完全な旅行ではありませんでしたが、各地の様子を少しでもレポートに出来ればと思います。
※追記として最近の更新頻度についてです。かなり更新不定期となっていること、申し訳ありません。9月の新学期からというもの生活ペースが変わり、順応するがやっとの状態でした。今後、なるべく通常の更新へと出来ればと思います。以上、報告でした。